« 新白河駅にご当地怪獣「ゴルバッグ」現る!!~ゴルフタウンしらかわ | トップページ | 夏の終わりの堀川ダム(西郷村) »

「平安時代の女流歌人 和泉式部庵跡と化粧の井」~白河市表郷~

「平安時代の女流歌人 和泉式部庵跡と化粧の井」

表郷中野には平安時代の才媛として紫式部、清少納言と並び称された女流歌人和泉式部の庵跡と伝えられる史跡があります。
(過去記事はこちらから

諸説あるようですが式部は、石川郡真垣城主金子十郎国康の娘として生まれ、13歳の時京都に上り大江雅致の養女としてその才学を賞されました。後に上東門院(彰子(しょうし)の上局として奉仕、和泉守橘道定に嫁いだので和泉式部と称されたと伝えられています。

Img_7087

道路わきの看板を入ります。


木立を進んで行きます。和泉式部庵跡・化粧の井までは、林道が続きますので、見学の時は歩きやすい靴でお願いします。

Img_7092

Img_7096



Img_7093
 
長久二年(1401)父国康が重病となり、和泉式部が父を見舞うために暇をいただき帰郷(京都から石川町へ)した時に白河の関までたどりつきましたが、その頃土賊が蜂起していたため道路を通行できず、この地に留まり、草庵を結び携えてきた阿弥陀の尊像を祀りて戦乱の鎮まるのを待ちました。しかし、戦乱はおさまらず、


「白河の関に この身はとめぬれど 心は君が里にこそ行け」


一首を詠んで故郷に贈り、空しく帰洛したといわれています。
その後天台宗の沙門正法という僧がこの庵を再興し、その阿弥陀如来尊像を祀って正法院と号していたが、永禄二年(1559) 咥雲という僧の代、この天台宗正法院を白河市本町に移し、浄土宗に改宗、寺号を龍水山正法院j常宣寺に改めました。
常宣寺は、寛永元年(1624)、丹羽長重築城の時に現在の地に移りました。
Img_7097

和泉式部が鏡にして化粧をしたといわれる井戸があったといわれています。
その庵跡と井戸の跡が白河市の史跡になっています。


現在は山中になっており、平安時代の面影はありませんが、和泉式部は、きれいな水を鏡に身支度をして戦乱がおさまるのをこの地でずっと待っていたのですね。
現在の井戸は最近になって整備されたものみたいです。

Img_7100


和泉式部の生きた平安時代
どことなく身近に思える
タイムスリップできる場所でもありますので、
機会がありましたら、ぜひ足を運んでみてくださいね。


「和泉式部庵跡」と「化粧の井」

場所:白河市表郷中野字式部内41
お問合せ先:白河市表郷庁舎 総務課
電話:0248-32-4781



文責:ひ (ラクラスしらかわ http://rakuras.com/

 

|

« 新白河駅にご当地怪獣「ゴルバッグ」現る!!~ゴルフタウンしらかわ | トップページ | 夏の終わりの堀川ダム(西郷村) »

歴史」カテゴリの記事

白河市」カテゴリの記事

自然」カテゴリの記事

観光」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1267462/67352518

この記事へのトラックバック一覧です: 「平安時代の女流歌人 和泉式部庵跡と化粧の井」~白河市表郷~:

« 新白河駅にご当地怪獣「ゴルバッグ」現る!!~ゴルフタウンしらかわ | トップページ | 夏の終わりの堀川ダム(西郷村) »