« 『三角点探訪』その13~三角点を探して~ | トップページ | 円明寺の石灯篭~丹羽長重公御廟(白河市) »

紫衣事件と玉室宗珀謫居之跡(棚倉町)

徳川幕府が開かれてから間もなくの慶長12年(1607)、京都で紫衣事件という事件が起こりました。

紫衣とは徳の高い高貴な人物だけが着用できる紫の衣で、それまでは天皇が直接授けることができましたが、江戸時代になり幕府の許可なく授けることは禁じられました。

しかしこの時天皇が直接授けられたため、幕府からは授けた紫衣を取り上げるよう命があり、それに抗議した沢庵和尚や玉室和尚たちが出羽国や陸奥国へ流罪になったということです。この事件は幕府の力を誇示するためのものだったと言われています。

沢庵和尚は出羽国へ、芳春院という寺の開祖である玉室宗珀(ぎょくしつそうはく)和尚は奥州棚倉へ流されました。
2人は現在の栃木県大田原市でそれぞれの国へ別れた、と言われています。

玉室和尚は棚倉で手厚く庇護されました。
赤館城のふもと、内藤信照が建立した光徳寺の草庵で許しを受けるまでの19年間を過ごしたそうです。
(光徳寺はお国替えによって移転)

Dscn0472

Dscn0477

草庵のあった場所には「玉室宗珀謫居(たっきょ)之跡」という記念碑が建っています。
玉室和尚はお茶や書画に親しむ文化人だったようです。

Dscn0476

草庵のあった場所は棚倉の町が見渡せる良い場所だったようですね。

Dscn0479

「玉室宗珀謫居(たっきょ)之跡」
棚倉町風呂ヶ沢
※県道25号線より入り口に小さい案内板があります。畑の中にあるので荒らさないようお気をつけください。

文責:な (ラクラスしらかわ http://rakuras.com/

|

« 『三角点探訪』その13~三角点を探して~ | トップページ | 円明寺の石灯篭~丹羽長重公御廟(白河市) »

東白川郡」カテゴリの記事

棚倉町」カテゴリの記事

歴史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1267462/58632428

この記事へのトラックバック一覧です: 紫衣事件と玉室宗珀謫居之跡(棚倉町):

« 『三角点探訪』その13~三角点を探して~ | トップページ | 円明寺の石灯篭~丹羽長重公御廟(白河市) »