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泉崎村から生まれた強いお相撲さん~雷峰右衛門の碑(泉崎村)

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泉崎駅のすぐ近くにある「泉崎資料館」。

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館内には泉崎村の数々の遺跡から発掘された出土品など
郷土にゆかりの文化財を展示している「常時展示室」や、
図書館、研究室、多目的室があります。
泉崎資料館 ホームページより)

この「泉崎資料館」の入口に、強いお相撲さんの石碑があることをご存じでしょうか?。

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江戸時代に相撲で活躍した泉崎村出身の力士
「雷峰右衛門(いかずち みねえもん)の碑」です。

この「雷峰右衛門の碑」は、雷峰右衛門の没後、
泉崎村にある踏瀬から太田川に至る旧奥州街道沿いに建設され、
江戸相撲の東北巡業時に参拝されていました。

その後明治天皇が東北巡幸の際に、
現在の国道4号線沿いにある泉崎十八夜山に移され大事にされてきたのですが、
文化財保護活用のため、この泉崎資料館に移設されました。

さて、この石碑の人物 ”雷峰右衛門”とはどんな人だったのでしょう?

実は泉崎村には、雷峰右衛門にまつわるこんなお話が残っています。
お話をかいつまんでご紹介しましょう。

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ある秋のこと、峰右衛門(※雷峰右衛門 当時10歳)が中野目家で摺臼(すりうす)をしていた時、
家主が峰右衛門に、「お前がもし、この米俵をもてたら、くれてやるぞ。」と言ったそうです。

峰右衛門はものも言わずに、米俵を持ち上げたかと思うと、スタスタと家に帰ったといいます。
泉崎の伝説民話 より)

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米俵といいますと、当時の一俵で重さはおおよそ2斗から5斗(約30kg~70kg)もある
と言われており、大人でも重たいものです。(俵の単位について

一説によりますと、米俵二俵を持ち上げて帰ったというの話もあるですから、
小さい頃から大変力持ちだったことが伺えますね。

峰右衛門は、25才の時に江戸入りし、3代目音羽山(雷権太夫)に弟子入りします。

その後、”音羽山(おとわやま)峰右衛門”と四股名
(※「相撲」における力士の名前)を名乗って江戸相撲で活躍し、
文化3年(1806)、当時相撲界最強といわれていた大関雷電を
倒したことから一躍有名になりました。

一説によりますと、大関雷電を倒したときは
江戸から泉崎村まで大金星の知らせが届いた。とも言われています。
当時の狂歌には、「雷電は雲の上かと思えども、音羽の山の下でごろごろ。」
という歌まで歌われたそうです。

その後、大化9年(1812年)、峰右衛門は師匠の名を継ぎ”雷峰右衛門”と改名し、
文化11年(1814年)四月場所を最後に、入幕してから10年間の幕内生活を引退しました。

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泉崎村から生まれた強いお相撲さんの石碑。
皆さんもぜひ泉崎村へ、足を運んでみてください。

文責:す (ラクラスしらかわ http://rakuras.com/

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