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『阿武隈川と久慈川の分かれ道』~玉野堰 棚倉町~

分水嶺という言葉を一度位は聴いたことがあると思いますが、本来は分
水界(地理用語)と言うそうです。異なる水系に分かれる境界線を分水
界と呼び山岳地においては山の稜線と重なるために分水嶺とも呼ばれて
いるとの事です。

広い意味での分水嶺がここ県南地方にもあります。それが棚倉町天王内
地区にある玉野堰す。

Img_4795_2

玉野堰の全体像です。分かり難いですが手前に水門が二つ並んであり奥
に向かい合うように水門があります。


Img_4781

手前の二つ並んでいる水門です。この水門から取水される水は逆川方面
の農業用水として使われます。


Img_4773

二つ並んだ水門の上手にある水門です。この水門から取水された水が
この後絵木川、根子屋川、大草川と渡って久慈川に合流します。

一説によると1500年代後半の頃赤舘城を奪った佐竹氏に対して会津の
芦名氏が赤舘城を水攻めするためここに玉野堰を作り水路(確認は取
れていませんが通称棚倉掘と呼ばれているそうです)を掘って棚倉側
に回したのが始まりとされています。

人の手によってでは有りますがここで社川の流が一方は阿武隈川へも
う一方は久慈川へと異なる水系に別れる分水嶺(分水界)が出来たと
いう事です。

Img_4812

棚倉掘の川面です。

Img_4811

社川の川面です。

たとえ人工的作られた分水嶺だとしても、ここで社川に沿って直進すれ
ば阿武隈川に合流していく先は宮城県亘理市の河口から太平洋へ、一方
水門を潜ると棚倉町を経由して久慈川に合流し茨城県日立市の河口から
太平洋へとなります。その差は単純に直線距離にして約175kmも離れ
た所に行き着くことになります。

分水嶺という言葉を運命の分かれ道の例えで使うときがありますがこの
玉野堰で川の流れを見ているとよりその言葉の意味を理解できたような
気がします。





棚倉町天王内

文責:<A>(ラクラスしらかわ http://rakuras.com/

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コメント

一昨日、この辺りを自転車で走りました。興味深い水門ですね。私のBLOGに、この記事を貼り付けさせていただきました。

投稿: kincyan | 2014年4月15日 (火) 08時30分

こんにちは!
ブログのリンクありがとうございましたhappy01
自転車の旅拝見しました。素晴らしいですね。
また機会がありましたらどうぞお越しください。

投稿: ラクラスしらかわ | 2014年4月15日 (火) 10時18分

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