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戊辰戦争「白河口の戦い」

白河は戊辰戦争時「白河口の戦い」での激戦地としても知られています。
会津街道に入るためには白河を突破しなくてはならなかったので、
白河は要所となっていました。

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当時白河藩主は棚倉へ転封となったため、白河城は城主不在でした。
新政府軍(西軍)と奥羽列藩同盟(東軍)の間で、この白河城を巡る戦いは
慶応4(1868)年4月から7月まで約100日間続いたそうです。
この戦いでの東軍の死者は約1000人とも言われています。

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白河口の戦いで、最大の激戦地と言われているのが白河市九番町にある稲荷山です。
白河市松並には東軍の慰霊碑が建っています。
(写真撮影当時〈2011年当時〉は石碑が破損していましたが、現在は修復されています)

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慰霊碑の隣には「鎮魂碑」が明治17年、旧会津藩士たちによって建立されました。
石碑の書は元会津城主、松平容保公によるものです。
(2012年現在は修復されています)

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門扉には葵の御紋が見えますね。

白河市内にはこのように、戊辰戦争時の慰霊碑が各地に残されています。
東軍はもちろんのこと、中には西軍のものもあります。
白河の人々は西軍、東軍に関わらず死者を弔ったそうです。

この慰霊碑の道路向かいにも長州藩、大垣藩(西軍)の慰霊碑が建てられています。

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この戦いにおいて、西軍の指揮者の中には板垣退助が名を連ねています。
東軍の指揮者の中には山口二郎=新選組の斎藤一の名があります。
あの新選組の隊士も白河の地に入り、戦いました。

ちなみに土方歳三は先の宇都宮の戦いで負傷し、本隊より先に会津に入り療養したそうです。
その時、隊を任されていたのが斎藤一でした。

小峰城の内部は現在震災の影響で中に入れませんが、木材に稲荷山の木を使っています。
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戊辰戦争時の銃弾跡が見つかっています。
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より大きな地図で 白河口の戦い を表示

文責:な (ラクラスしらかわ http://rakuras.com/

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