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戦国時代の一大拠点 ~ 羽黒山・出羽神社(塙町)

塙町の中央に位置する羽黒山。
標高364m。
山全体が羽黒山城址です。

築城は南北朝争乱の前後と言われていますから、14世紀ごろでしょう。
室町時代末期には、佐竹氏一族が4代にわたり在城したと伝えられ、
佐竹氏が秋田に転封されるまで当地域支配の最大拠点だったようです。

当地域には、他にも赤館、寺山館(ともに棚倉町)、および東館(矢祭町、現・舘山ふるさとランド)と、
たくさんの館があり城の役目を果たしていました。

さっそく、磐城塙駅裏口から登ってみました。

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羽黒山の名称は、平安時代天喜(てんぎ)年間の源義家公に由来しているといわれています。
義家公がこの地を訪れた時、常世湖水に大蛇が棲み人々を脅かしていると聞くや、羽黒の箭を射って大蛇を退治しました。
その箭を山頂に納め、羽黒山と号したそうです。

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登る途中、山道を少し離れあずまやに寄ってみると、古峯神社がありました。
建物自体は小さいですが、しっかりと石にその名を刻んであります。

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<古峯神社より 眼下には家々の屋根が見えます>

さらに登りますが、結構、傾斜がきついかも。
振り返れば、塙の街並みが望めます。

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神社の入り口まで来ました。
この山腹にある平らな土地は、当時の舘があったことを想起させてくれます。

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出羽神社は、稲蒼魂命(ウカノミタマノミコト)を祭神として祀り、
羽黒大権現と称して1055(天喜3)年に創建されたと伝えられます。

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神社周辺には休憩所があり、塙の街並みを望むことが出来ます。
佐竹氏もこの景色を望んで、次の地を狙っていたのかもしれません。
南側には、九ツ山(標高477.2m)が見えます。

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と、こんなに急坂を登ってきたのに、実は楽々なコースがありました。
出羽神社の鳥居前まで、自動車で来れちゃうんです。

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しかも、山の東側は傾斜がゆるいんです。
等高線の間隔を見ても、その差ははっきりしていますね。

ただし、高い木々に遠景が遮られるのが難点です。
景色を楽しむなら、断然、磐城塙駅裏口からの登山コースですね。

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とはいえ林道側でも下りるときは、こんなに開けた景色が楽しめます!

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最後はプチ鳥居がお見送りです。

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徒歩でも自動車でも登れちゃう羽黒山のある塙町へ、ぜひおいでください!

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羽黒山・出羽神社

文責:よ (ラクラスしらかわ http://rakuras.com/

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コメント

 「灯台下暗し」とはまさにこのこと。よもや駅裏の山が、あの佐竹氏の拠点のひとつだったとは驚きです、初耳でした。知らぬは罪とはよく言ったものですわねぇ、私メなぞはただの山ぐらいにしか…おそらく地元の者でも駅周辺の方々しかご存じないのでは?。
 ここは決まってトンビが山頂付近で輪を描いているところ、という印象しかありません。へぇ…歴史って本当に奥が深いですわね。

投稿: Uogiee Mazolla | 2011年8月12日 (金) 00時51分

舘跡は塙町に限らずたくさんあったようですね。
記者はまだすべてをまわったわけではありませんが、こちらのサイト様を見る限り、相当数あったようです。
http://fukushima100sen.com/osiro.html
ただ、実際は藪の中にあるのが大多数のようなので、取材に対し二の足を踏んでおります。

羽黒山は、探せば隠れた名所がいっぱいあるんだなと感じさせられた取材先の一つでもあります。(よ)

投稿: ラクラスしらかわ | 2011年8月12日 (金) 10時05分

 中世・戦国の世における居館は野戦上の城。軍事目的に特化された居城が大半です。自然地形を見事に活用し敵の攻撃侵入に備えた形跡が見られるのが特徴です。それゆえ合戦の対戦地ごとに数々の居館が築造され続けた、としても不思議ではありませんね。
 ここ下町区も都内で唯一当時の居館が発掘された所です。後北条軍と南総里見軍との間で繰り広げられた国府台合戦。その後北条側の葛西城です。道路の拡幅工事の最中たまたま発掘された奇跡の居城で、危うく現代文明の藻屑と消えるところでした。
 発見の醍醐味ほど歴史愛好家にとって歓喜極まることはありません。仮説が様々な文献から実証される喜びーそう思うだけで長らく頓挫している街道歩きにますます掻き立てられるばかりです。
 
 

投稿: Uogiee Mazolla | 2011年8月12日 (金) 20時18分

福島では中世、山城や館が多く作られたため、山に築かれるものばかりと記者は考えていました。
平地が多いであろう東京都内でお城が発掘されるとは初めて知りました。
仮説でなく実際の発掘でこそ新しい歴史が発見されていくのでしょうね。(よ)

投稿: ラクラスしらかわ | 2011年8月13日 (土) 10時02分

 自然を利用した要塞ですから、当然のこと山間部では山城が主です。葛西城は河川(江戸川、中川)に囲まれたここの地域特性をうまく利用した「水城」を特徴としております。別称を「葛西御殿」とも言い、太閤秀吉、全国制覇の後、徳川三代の鷹狩施設として利用されました。
 それにしても「よ」さん、関山といい、鮫川の朝日山、塙の羽黒山といい数々の登山報告感謝!です。春先からお盆の頃にかけてのこの時期、地元ではマムシが出没するってんで山登りには必ず鍬が付きものでした。それとブヨ、軽装で入った日には体中キズだらけ。今はだいぶ緩和されてきたのでしょうかねぇ、昔と違って。

投稿: Uogiee Mazolla | 2011年8月14日 (日) 00時05分

地域の地形に合わせて築城されたのですね。
水城は初めて知りましたが、今治城や三原城など城郭周辺に水場のある城がそうみたいですね。
山城ばかり見ているので、軍船が停泊する城というのも見てみたいです。

登山について幸いマムシには遭遇していません。
熊よけ鈴とトレッキングステッキ、登山シューズは装備していますが、いくら登山道が整備されてもブヨやハチだけはどうにもなりませんね。
重低音の効いた羽音が聞こえたら、すかさず逃げるの繰り返しです。
山に関しては人間よりも彼らの方がプロですからね。(よ)

投稿: ラクラスしらかわ | 2011年8月16日 (火) 10時13分

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