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境目はどこ? ~ 磐城国と岩代国の境界線

福島県は、古くは陸奥国とよばれていました。
1869年1月19日、陸奥国から陸中国(現岩手県)、陸前国(現宮城県)、岩代国(福島県西部)と磐城国(福島県西部)が分立します。

その磐城国は14の郡で構成されていました。
その中には、白川郡(現東白川郡)と白河郡(現西白河郡)が含まれていました。

そうした事実から、現在の東白川郡と西白河郡で構成される福島県県南地方はすべて磐城国だったかというと、そうではないようなのです。
Wikipedia等では旧大信村西部は岩代国と書かれてあるのですが、その境界はどこにあるのかわかりません。

で、調べてみました。

総務省「市町村数の変遷と明治・昭和の大合併の特徴」によれば、全国に71,314あった市町村は「明治の大合併(市制町村制施行、1889年4月1日)」により15,859となりました。
その時代にまで話が遡ります。

福島県岩瀬郡に下小屋村と隈戸村、それに大里村という3村がありました。
3村は明治の大合併で「大屋村」となりました。
おそらく大里の「大」と、下小屋の「屋」をあわせたものでしょう。

ということは、先日紹介した権太倉山は、当時は岩瀬郡内の山だったのですね。

しかし1949年、大屋村から大里村が分立してしまいます。
1951年、残った大屋村は西白河郡に仲間入り。
さらに1955年、大屋村は信夫村と合併して西白河郡大信村となり、大里村は他3村と合併して岩瀬郡天栄村になりました。

つまり岩代国だった下小屋村と隈戸村が、磐城国の西白河郡に仲間入りしてこのようになったようなのです。
またそういった経緯を考えると、大信の「大」の字は岩瀬郡天栄村大里地区の「大」の字が由来なのかもしれませんね。

現在、下小屋村は白河市大信下小屋地区、隈戸村は白河市大信隈戸地区と、それぞれ変わりました。

もう一つ、西白河郡矢吹町に岩瀬郡の一部が編入したこともわかりました。
ただ、1955年3月31日、岩瀬郡広戸村の一部が矢吹町に編入したと記録にはあるのですが、果たしてどの地域が編入されたかまでは追究しきれませんでした。
不確定なことは言えませんので、とりあえず現在の矢吹町と天栄村の境界を、磐城国と岩代国の境界と考えてみます。

以上から、磐城国と岩代国の境界線を描いてみました。

Taisin3

また、大まかですが全体の地図も描いてみました。
磐城国は、宮城県南部の伊具郡、刈田郡、そして亘理郡が含まれています。
そして郡山市と須賀川市の阿武隈川より東の部分は、それぞれ田村郡と石川郡でした。
(いずれも合併して、郡山市と須賀川市になりました。)

Big1

新白河駅が、かつて磐城西郷駅と呼ばれていたように、福島県県南地方には「磐城」とつく名前の駅はいくつかあります。
でも「岩代」とつく駅はありませんね。
そういったことからも、当地方の大部分が磐城国だったことがうかがえます。

歴史を知ることは、地域を知ることでもあります。
合併の歴史を紐解いて、その地の人々がどう考え、どう結びついていたのかを知ることは、地域で生きる上での一つの楽しみではないでしょうか。

参考サイト

市町村変遷:福島県
http://homepage1.nifty.com/ishato/tiri/sityoson/02tohoku/07_hukusima11.htm

パラパラ地図福島県
http://mujina.sakura.ne.jp/history/07/index2.html

文責:よ (ラクラスしらかわ http://rakuras.com/)

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