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中央と陸奥国府を結ぶ重要道路 ~ 棚倉街道(東白川郡)

道シリーズ第2弾は、棚倉街道についてです。

往時から棚倉は、交通の要衝として栄えておりました。
棚倉街道は、常陸国水戸城下から磐城国棚倉までを結んだ道で、今でいう国道349号線と国道118号線のルートがそれに近いといわれています。
(一説では、棚倉街道は棚倉の先、白河までを結んだ道とも言われていますが、資料等で確認できなかったのでここでは棚倉以南を棚倉街道としています。)

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さて、以前書いたとおり、古くは律令時代に東山道連絡路として福島県県南地方から茨城県まで道がつながっておりました。

中世には、常陸国に強い影響を与えた佐竹氏が奥州出兵のために、
また、江戸時代に入ると奥州大名の参勤交代にも使われた道でした。

水戸から棚倉までに18の宿場町があったようで、うち福島県内には6つの宿場町があります。
あらためて軌跡を追ってみましょう。

まずは茨城県境から。
地図で見ると、ここは福島県、言ってみれば東北地方の最南端にほど近い場所でもあります。
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大垬(おおぬかり)宿。
茨城県境から1kmあまり。
現在の矢祭町大ぬかり地区。国道349号線から少しはずれたところにあります。
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仲町宿。
矢祭町上関河内(かみせきごうど)地区に仲町という字名があること。
それから、付近を通る福島交通「仲町柏屋上関」停留所があることから、上関河内地区周辺だと考えられます。
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律令時代は、ここから1kmほど西に離れた高野地区を通る道がメインルートだったようです。
が、この当時、佐竹氏の拠点だった東館城(※)のある東館宿へ高野地区を通らずに抜けているのは実に興味深いですね。
(※ 矢祭町役場の北東100mほど、現在は舘山ふるさとランドとなっています)

東館(ひがしだて)宿。
矢祭町東館地区。
そばの駅が「東館駅」であることと、宿場町を物語る古民家が街道沿いに立ち並ぶことから、古い宿場町だったと考えられます。
今では国道118号線になっています。
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伊香(いこう)宿。
塙町伊香地区。ここは国道118号線沿いでなく、県道230号線沿いです。
東館から来る途中のどこかで、橋か渡し舟があったのではないでしょうか。
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台宿(だいじゅく)。
塙町台宿地区。
伊香地区もそうですが、今でも地名に字名が残っており、しかも賑わっていたことを物語る豪華な古民家がならんでいます。
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八槻(やつき)宿。
国道118号線沿いに戻ってきました。
八槻都々古別神社からまっすぐ南下した路線沿いに民家が並びます。
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棚倉城下まで入りました。
古くからの街並みを大切にしているせいか、趣のある建物が多いですね。
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昭和28年ごろの写真もありました。(参考:白河今昔写真帖より)
とても華やかな宿場町だったようですね。

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そんな重要路線ですが、江戸時代には棚倉街道のみが使われたわけではありません。
棚倉藩でとれた米などの物資輸送に、主に3ルート使われたようです。

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1.棚倉街道
  下江戸(現・那珂市)で船積みし那珂川を下るコース
2.平潟街道
  当時棚倉藩領だった平潟港(現・北茨城市)に至るコース。いわゆる「塩の道」だった模様。
3.戸中峠越え
  黒羽(現・大田原市)まで陸送して、那珂川を下るコース

どうせ舟で渡すなら、棚倉を流れている久慈川で輸送すればいいじゃないか、と明暦4(1658)年、井上市右衛門という人が藩に舟運計画書を提出し、その有効性を訴えました。
しかし
(1)河川の至る所にかんがい用の堰が作られていること
(2)秋から冬にかけ、米の輸送が頻繁になる時期に川の水量が減ること
(3)梅雨や台風の季節には、洪水の危険性があること
の理由で、実現しなかったといいます。

このほかにも矢吹方面から茨城街道が通っていたりと、棚倉は往時から重要な地域だったことがうかがえます。

次回は、白河を通った街道についてのお話です。

文責:よ (ラクラスしらかわ http://rakuras.com/

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コメント

 いや~勉強になります。これほどまで詳細な記事を掲載されていたとは…あっぱれです。とびとびで拝見しているものですから、相すみません。
 棚倉街道、いわゆる旧118号とでも言えましょうか。東館直近で大きく右に折れる橋を境に直進。旧道は久慈川を挟んでちょうど118号の裏道を成している訳ですね。伊香方面、塙工業高校あたりをかすめる格好ですか、ここは何度も行き来した覚えがあります。
 平潟街道は「塩の道」であること勿論ですが、私メなぞは幕末動乱期・戊辰戦争の史実の方がより鮮明です。江戸から海路、平潟に辿りついた板垣退助率いる官軍一行は、ここから棚倉城攻略→浅川・青葉城合戦へと向かったのですね。川上、那倉、あの川上川沿線を行軍したのでしょうかねぇ。これまたあっぱれです。

投稿: Uogiee Mazolla | 2011年8月13日 (土) 23時27分

ありがとうございます。
街道については調べられる限り調べていますが、分からないことも多く、いろいろ教えていただければ助かります。
記者自身、平潟街道は福島県側しか走ったことがないのですが、途中に集落の少ない山道をよく行軍できたものだなと驚きを感じます。(よ)

投稿: ラクラスしらかわ | 2011年8月16日 (火) 09時52分

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