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御城(みじょう)地内磨崖仏阿弥陀座像 並びに石造塔婆群及び石仏群(中島村)

中島村の汗かき地蔵で知られるこの御城(又は 代畑)地区。
その汗かき地蔵のお堂および代畑地区公民館の入り口付近にあるのがこの史跡です。

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いくつかの文化財が集まっています。
案内板によると

 一、磨崖仏は県下で最も早くつくられたと県史に記されている

 一、阿弥陀像は建治四年(1278)に一結衆によって刻まれた線彫絵姿仏にして
    県内では珍しい磨崖浮彫像である

 一、石造塔婆群は鎌倉中期から室町初期にかけての豪族たちの供養塔である

 一、石仏群はもと旧白山大権現社境内に安置されていた三十三観音菩薩像で
    明治維新の神仏分離の際に棄却された石仏である

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入口付近の大きな岩をよく見てみると、阿弥陀如来の姿が浮かんでいます。
(肉眼でもよく確認しないと見えないかもしれません。)
建治四年(1278)の銘があり、年号が刻まれたものとしては県内で最も古い磨崖仏だそうです。

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そのすぐ脇には「御城十三仏」と記された仏像群がありました。
白山比咩神社から移動されてきたようです。

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汗かき地蔵のお堂の横にも磨崖仏の破片と思われるものが残っていました。
(この地内にあったのか、それとも神仏分離の影響だったのでしょうか?)

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この地内は台地になっています。
ここは中世にあった滑津舘(城)の跡だったとのこと。
今は宅地と畑になっていました。

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その台地下は岩で覆われていて、かなり風化はしていますが、よく見ると文字らしきものが刻まれています。

中島村には白山比咩神社の磨崖仏とあわせ、県内でもっとも古いといわれる貴重な磨崖仏が残っています。

☆下写真は「白山比咩神社下磨崖仏」

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御城地内磨崖仏阿弥陀座像 並びに石造塔婆群及び石仏群
 中島村滑津字御城 及び 代畑

文責:な (ラクラスしらかわ http://rakuras.com/

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