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人忘れずの山、新地山(白河市)

第2回 歴史学びの会」の記事でお伝えした、関和久官衙遺跡群が発掘された白河借宿地区。
その借宿地区から目に入る山が「新地山」です。

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新地山からは古代の郡役所跡、関和久官衙遺跡が見渡せることから、当時は阿武隈川を挟んだ向かいの木ノ内山(人懐かしの山(泉崎村))と、関所としての役目もあったのでは、と推測されています。
古代の要所だったことは間違いないようですね。

☆左が木ノ内山、右が新地山

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大和からこの地へやってきた人たちが、大和地方の山の形と似ていることから郷愁を誘い、「人忘れずの山」と呼ばれたのだろうと言われています。

山頂には羽黒神社があり、これもまた以前紹介した信夫の佐藤兄弟と縁があるもので、屋島の戦いで戦死した佐藤継信の冥福を祈り、その母が建てさせたものだということです。

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また、「人忘れずの山」とは古来から歌枕として親しまれました。

 「みちのくの阿武隈河のわたり江に人忘れずの山は有けり」

とは、「奥の細道」で芭蕉とともに旅をした曾良の句です。

松平定信公も

 「世々へても心の奥に通ほらし人忘れずの山のあらしは」

と詠んでいます。
定信公の歌は、新地山の麓に歌碑として残されており、とても立派な石柵で守られてます。

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(この石柵は浅川町の石工が彫ったもので、これについては作家の たくきよしみつ氏 のホームページに興味深い考察がなされています。)

関山、烏峠と共に白河三山と言われ、
中世には館があったのでは、という説もある新地山。
なだらかな美しい姿は、歴史の折に人々の心を惹きつけたのでしょう。

新地山
 白河市借宿

文責:な (ラクラスしらかわ http://rakuras.com/

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