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謎の一大政商が眠る墓 ~ 金売吉次兄弟の墓(白河市)

白河市には、かつての一大政商が眠るお墓があります。

ときは平安時代末期、金売吉次・吉内・吉六なる三兄弟が藤原秀衡の命により、奥州平泉と京の都を交易のため往来していたといいます。
しかし承安4(1174)年、往来していたある日、兄弟はここで群盗に襲われ殺害されてしまったといいます。

これだとただの殺人事件なのですが、この金売吉次三兄弟のお話は諸説あるのです。
ひとつずつ紐解いてみましょう。

(1)金売吉次三兄弟は大豪商だった

墓の傍にある案内看板には、奥州と京とを砂金交易していたとあります。
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「義経記(ぎけいき)」によると、
交易品は砂金だけでなく、奥州産の金や漆も取り扱っていたようです。
吉次兄弟は義経を平泉に案内し、奥州平家の藤原氏と密着していました。
秀衡からは白なめしの鹿革100枚、鷲の矢羽100組、銀の鞍を載せた馬3頭などをもらったとあります。

残念ながら、「義経記」は義経の死後200年以上経ってから書かれた物語ですので、事実かどうかは疑うところがあります。
とはいえ、物語にもブルジョワっぷりが描かれているので、少なくとも豪商だったのではないかとも考えられそうです。

(2)義経は同行していた?いなかった?

吉次兄弟が襲われ絶命したあと、近くに住む里人たちは憐れんでこの地に葬り供養した、と伝えられています。

近くには八幡神社があり、源義経がその霊を祀ったとも言われています。
義経がこの地を通ったときに祀ったといわれていますが、他説では
吉次兄弟が義経とともに奥州に下向した際、義経が武運長久のため関山満願寺に赴いていたところ、兄弟が賊に襲われてしまったのでこれを退治してから祀ったとも言われています。

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(三基の石塔は、奥から吉内、吉次、吉六のものといわれています。)


(3)実は白河だけじゃない?!

金売吉次の墓があるのは、実は白河市白坂地区だけではないのです。

栃木県壬生町上稲葉地区にも金売吉次の墓があるといわれています。
この地では、「金売吉次は壬生にて病で倒れて死んだ」ということになっており、
里人たちによって、吉次の墓とともに吉次の守護仏の観音様を祀ったお堂が建てられた、といわれています。

吉次さんは、いったい何人居たのでしょうか?

付近には「小金橋」「金分田」「小金田」なる字名が残っており、また当時、村人たちはこの村を「皮籠(かわご)村」と改名したと伝えられています。
「皮籠」とは、盗賊が吉次から奪った砂金が入っていた皮籠から来ているといいます。

調べれば調べるほど謎多き人物だったようですが、地元では「吉次様」の墓として信仰されているお墓です。
地名もさることながら、金売吉次三兄弟が白河に深く根付いている人という証拠なのかもしれませんね。

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金売吉次兄弟の墓
 〒961-0835 福島県白河市白坂皮篭地区

文責:よ (ラクラスしらかわ http://rakuras.com/

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