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古代県南地方のカタチ ~ 古代の白河郡

いまでこそ西白河郡と東白川郡の2つの郡部(白河市は旧西白河郡白河町)で構成されている県南地方ですが、1000年以上前はもっと広大な地域でした。
今日は、そんな県南地方の歴史を紐解いてみようと思います。

東北地方の太平洋側は、もともと陸奥国(むつのくに)と呼ばれていました。
しかし、これは鎌倉時代から幕末までのお話。
律令制下の時代(8世紀ごろ)、陸奥国は今の福島県と宮城県南部の地域でした。
私たちのいる県南地方は「白河郡」と呼ばれ、陸奥国の最南端にあって陸奥国内で最大の郡でした。

今でこそ「白河郡」はなく、郡名に「しらかわ」とつくのは西白河郡と東白川郡です。

しかし古代の白河郡はもっと広大で、今の石川郡も含まれていたといいます
つまり今で言う白河市、西白河郡、東白川郡、そして石川郡が古代の白河郡だったと考えられています。
面積にして、約1,690km2
東京都23区(617km2)のおよそ2.7倍もあります。

Img_2866_2

7世紀末には、関和久(泉崎村・関和久遺跡)地域に郡衙(ぐんが)が造られたとされています。
郡衙とは、日本の古代律令制度における郡のお役所です。
泉崎村には泉崎横穴だけでなく近年、谷地久保遺跡や野地久保遺跡も見つかっていることから、このあたりが古代白河地方の中心だったと考えられています。

Img_2863

<現在の関和久遺跡、地元の人に聞いたところ田園地帯になってしまったとのことです>

郡のかたちは、時代とともに変わっていきます。

そののち、白河郡南東部が「高野郡」として分割します。
これは10世紀に編さんされた「和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう、今で言う辞書)」でも、「別に高野郡を編成して、白河郡から分離する」とあります。
そして南北朝時代、高野郡は「白川郡」となります。

さらに11世紀、石川郡が独立します。
1051(永承6)年、前九年の役に活躍した源有光がその功績から石川地方を与えられ、荘園・石川庄を築きました。
これがのちに石川郡となって、白河郡から独立します。

古代の白河郡は、こうして白河・白川・石川の3郡に分かれました。
白河郡と白川郡、2つの「しらかわ」郡が長く続いたのです。

はるかのちの1876(明治12)年、郡区制がしかれ「白川郡」は「東白川郡」に、「白河郡」は「西白河郡」に改称されます。
こんな経緯があったからこそ、河の字でなく川の字の「東白川郡」と呼ばれているのでしょうね。

県南地方の歴史を紐解いてみると、実に興味深いものばかりですね。

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参考

文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=173526

文責:よ (ラクラスしらかわ http://rakuras.com/

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