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白河 歴史散策(白川城・感忠銘碑)

鎌倉時代~の400年にかけて、白河を治めていた「結城氏」について「白河集古苑」の記事で触れました。その結城氏が城を構えていたのが「白川城」です。
城、といってもいわゆる天守閣タイプではなく、戦国時代以前の城は「館」形式だったようです。現在跡形はなく、防塁と跡地が残るのみになっています。

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白河結城氏の初代当主「結城祐広」は、祖父にあたる「結城朝光」が源頼朝より与えられた白川(当時は白川)の地に「白川城」を居城しました。
時代背景がわかりずらいかと思いますが、結城祐広の子「結城宗広」は鎌倉幕府に背き、新田義貞とともに鎌倉幕府を滅ぼし、日本の歴史は南北朝時代(1336~1392)へと移っていった…そんな時代です。
600年以上も前の史跡、ということになりますね。

また、白川城の北東部、白河市搦目の県道脇に「感忠銘碑」があります。
江戸時代に松平定信公が、結城宗広、子の親光の南朝へ忠義を称えたという碑です。断崖に「感忠銘」と彫られています。この書は定信公によるものだそうです。漢文も彫られていますが、残念ながら遠目でははっきりと確認できません。(崩落の危険性があるので近くまでは寄れません)。手前の看板でぜひご確認ください。

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また、白河市愛宕町にある「関川寺」には結城宗広・結城家の墓所があります。
(結城宗広は伊勢で没したといわれ、墓所は伊勢にもあるそうです)
関川寺は結城家の館の跡とも言われているそうです。

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普段何気なく通っている場所にも様々な歴史が刻まれています。こういった歴史に少しでも触れていければ、と思います。

白川城址

感忠銘碑

関川寺

文責:な (ラクラスしらかわ http://rakuras.com/

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